不良少年の更生の落とし穴〜続き〜

なんだか“ダメなやつ”ってレッテル貼られてるヤツの少しの更生って、めちゃめちゃ輝くよねってことを書きました。

で、両さんが不良少年の更生に関して“正論だ”って思われることを言ってるんですけど、これにも少し考える余地がある気がするのです。

ここから思うことなんですけど、良いことをしているとか悪いことをしているとかは別として不良少年が更生することの凄さっていうのは

 

“習慣化されたことから脱すること”

 

にあるんです。きっと。

不良少年にとっては“悪さをする”ということが習慣化されていて、それが日常生活の当たり前になっているわけです。反対に、不良少年じゃない人たちもいろんなことが習慣化されていて、規律を守ること、社会に認められるように努力すること、体裁を保つことなどなど、いろんなことが習慣化されている。

 

人間って、この習慣化されたことから脱することが一番苦しくてしんどいことなんですよね。特に「頑張ろう!」って決めた一歩目からその行動に慣れるまでが一番苦しい。

 

好きなものを好きなだけ食べることが習慣化された人にとって、そこから脱するダイエットっていうのは苦しくてしんどいことです。

怠けること、遊ぶことが習慣化された人にとって、そこから脱するための勉強や学びっていうのはしんどいんです。

 

それを乗り越えて頑張った結果、慣れてきて当たり前にできるようになることが“習慣化”です。

ついでなんで動画載せときます。

 

なので、不良少年にとって“更生すること”というのは、まさに習慣を脱する行為。ダイエットに踏み出すしんどさや、変わろうと決意したあとの苦しさと同じ苦しさがあるんです。だから両さんの「普通に戻っただけだ」というのは、ただ単純に戻っただけではない苦しさがあるんです。

 

普通にやってきた人にとっての「変化」が苦しいのは習慣を脱する行為だから。

会社に属してきた人にとっての起業は苦しいものだし、「これが当たり前だ」という感覚で育ってきた人にとっての他の感覚っていうのは受け入れ難かったり、長年その文化でやってきたものを変化させるっていうのは勇気と気合いが必要です。

100回同じようにやってきた甲子園を変えるっていうのは、相当な気合いをいれないとできないこと。

(それでも変化させなければいけない時は絶対にあるんですよね)

 

もちろん、悪いことをしていたことはそれはそれで反省すべきだけど

習慣化からの逸脱はやっぱり賞賛するべきことだし、頑張ったこと自体が凄いこと。「普通に戻っただけ」なんだけど凄いことなんですよね。

 

だって、悪いことしてなくても自分にとっての習慣を変えるってしんどいでしょ?

 

そう思いながら自分自身も、なにか進めたい!こうなっていきたい!ってなった時は“習慣化からの脱出”のために、頑張るってことを習慣にしなきゃなって思うわけです。

習慣を変えることの習慣はだいぶできてきたけど。

 

“一つ要の習慣を習慣化することで他の習慣を習慣化する習慣”

 

わぁお。

 

 

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